人生詰んだ!の意味と詰むことがほぼない理由
こんにちは。
最近少しずつ暖かくなってきたので、油断して薄着で寝たら風邪をひいてしまった石原です。
さて、私石原は小学校低学年のころから、安室奈美恵さんの大ファンです。
そして、なんでもとりあえず集めたくなるコレクター魂の持ち主でもあります。
安室ちゃんにかかわらず、ハマった物はとことん片っ端から関連グッズを集めまくるのが趣味。
何か新しいことを始めるときも、とりあえず道具だけ最初にそろえてしまう「形から入る」タイプの人間です。
そんな私が一番最近「人生詰んだ!」と思ったのが、安室ちゃんのファイナルツアーのDVDやBlu-rayを特典欲しさに何十枚も買った時と、セブンネット限定・数量限定で予約販売された安室奈美恵ドール(リカちゃん)を5体購入した時のクレジットカードの請求書を見たときです。
DVD・Blu-rayは1枚8,800円、それを約30枚買いました。
そして安室奈美恵ドールは1体なんと2万円を超えます。
それを全種類5体…
この請求書を見たときは(わかっちゃいましたが)「ひょえ~!人生詰んだ!」と思いました。
(全国の安室ちゃんファンの皆さま、私石原とともに「詰ん」でも頑張っていきましょう!)
さて、最近インターネット上や若者の間でよく使われるこの「人生詰んだ」や「詰んだ」という言葉の意味、皆さんはわかりますか?
今日は「人生詰んだ」の意味などについて考えてみたいと思います。
この記事に書いてあること
人生詰んだの意味とは
さて、最近よくネットや若者たちの間で耳にする「人生詰んだ」の意味ですが、実はこの「詰む」という言葉は将棋の用語からきているのだそうです。
意味は、
- 「もうこの先立ち直れない」
- 「もう後がない」
- 「終わった…」
というような、絶望的な状況を表すものです。
ごくごく最近耳にするようになってきた言葉なので、ひと昔前に流行ったネット用語「オワタ\(^o^)/」のようなものかと思っていましたが、そうではなく、実は昔から使われてきた言葉なのです。
昔から使われてきた言葉だとは言いますが、石原はさきほどまで意味もよく知らなければ実際に「詰んだ」を使っているご年配の方にすら会ったことはありません。
ですので、昔から使われてきた日本語であるのにそれを知らなかった30代の私よりも、「詰んだ」を広め始めたネット住人や若者たちは逆に物知りですよね。
つまり、よく使われている「人生詰んだ」というのは「人生終わった」という意味と同じと考えればOKです。
「お金使いすぎて今月詰んだ~」だとか「嫁に内緒で通っていた飲み屋のお姉ちゃんとLINEがバレた…これは詰んだわ~」などなど、使い道は多岐にわたります。
意外と人生詰まない
ネットや若者の間で頻繁に使われている「人生詰んだ」や「詰んだ」という表現ですが、実は「詰んだ」「詰んだ」と頻繁に口にするほどは人生「詰まない」ことがほとんどです。
みんな簡単に「人生詰んだ」と口にはしますが、あ~終わった~!失敗した~!もう無理だ~!と絶本のどん底に立たされたような気がしても、実際はその後の努力次第、自分次第で意外と結果オーライになるもの。
(とは言っても私の安室ちゃん破産はいまだに「詰んだ」状態ではありますが)
人は生きていると様々なことに直面します。
かわいがってくれていた祖父母など近しい人との永遠の別れであったり、クラスメイトからのいじめや、親友だと思っていた人に裏切られたり、好きな人にフラれた、恋人と別れた、人の借金の連帯保証人になってしまった、自分の借金や家族の借金、事業で失敗した、などなど、人によってさまざまですが生きていると2度、3度と「人生詰んだ」と思うような場面に直面することがあります。
ただし、「詰んだ!」とそのときは思っても、冷静になってしっかり考えてみると必ず打開案、解決策はあります。
信頼していた人に裏切られたらとても辛いし悲しいですが、その経験を糧にして今後は人を見る目を養えば良い話。
それに大切な人との死別や別離は、精神的にとても大きな痛手となることは事実ですが、ゆっくりと時間が解決してくれるもの。
借金問題は、地道に少しずつでも返すのか、それとも返さないという方法をとるのか(もちろんリスクがありますが)の二択になりますが、いずれにせよ打開策はありますので、「もう終わった!」と思っても意外に人生詰まずにその後なんとかなる、という場合がほとんどです。
日本人がネガティブな理由
日本人はどちらかというとポジティブ思考の楽天家の人よりもネガティブ思考の人のほうが多く目立つような気がします。
石原の周りの友達の中でも、この人すごい前向きだなぁ、ポジティブだなぁ、という人は数えるほどしかおらず、圧倒的にネガティブ思考や心配性の人が多いです。
ちなみに私は仮面ポジティブです。
一見ポジティブ思考のように周りには映っているようですが、実は結構後先深く考えずに「はいはい大丈夫大丈夫!」と行動してしまいあとあと冷静になってみて「どうしよう…」と心配し動揺し始める、というタイプです。
(なので結局のところは自分はネガティブ思考なのだと思います。)
私の母も私と全く同じタイプ。
弟はもうネガティブ思考のかたまりですし、うちの夫もかなり心配性(常に最悪の事態しか考えていない)です。
このように、私の周りだけとってもネガティブ思考の人たちであふれていますが、皆さんの周りではどうでしょうか?
実は、日本人は欧米人に比べると非常にネガティブ思考の人が多い民族なのだそうです。
なぜか。
人の脳内には神経伝達物質のセロトニンというものが存在し、この量が多いと不安感にかられるというようなことが少なくなり、安心感や幸福感を覚えることが多くなるといわれています。
逆にセロトニンの量が少ないと、不安になったり、悲観的になったり、焦操感に襲われたり、恐怖感を感じやすくなったり、他人や物事に対して文句が多くなったり悪口を言ったり、と、ネガティブ思考に偏ってしまうのだとか。
うつ病などの治療薬(抗不安剤、向精神薬など)の中にはSSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)という種類の治療薬がありますが、SSRI系の主に脳内に一度放出されたセロトニン伝達物質を再度細胞内に取り込むことを、薬の力で邪魔してやることで、脳内に放出されるセロトニンの量を増やしてやり神経伝達の働きの回復を図ることで症状の改善を試みるものがあります。
パキシルやジェイゾロフト、デプロメールなどの薬剤がこれにあたりますが、何を隠そう私石原も今から10年近く前にうつ病になった時にはジェイゾロフトやパキシルを数年間にわたり服用した経験があります。
うつ病の発症や原因に深くかかわっているといわれているこのセロトニンという神経伝達物質ですが、このセロトニンを分泌する量を調整しているのがセロトニントランスポーター呼ばれる一種のたんぱく質です。
セロトニントランスポーターは脳内に一度放出されたセロトニンを再度細胞に取り込む(再取り込み)という大仕事をしてくれるものですが、一度出たセロトニンをまた集めて再び取り込める(再利用する)ことができれば、取り込めるセロトニンが多ければ多いほど情緒は安定するといわれています。
ところが、日本人は遺伝子的に、このセロトニントランスポーターが少ないということが最近の研究でわかってきました。
つまり、セロトニントランスポーターの数がもともと遺伝子的に少ないため、セロトニンを上手に使いまわすことができず、不安感を感じたり心配ばかりしたり、といったネガティブ思考に偏ってしまうのだそうです。
それに比べ欧米人には遺伝子的にセロトニントランスポーターを多く持つ人が多いため、ポジティブシンキングの人が多い、という理屈です。
もちろんネガティブ思考かポジティブ思考かどうか、なんて、遺伝子ひとつですべて決まるようなものではないでしょう。
その人が育ってきた環境や両親や周りの人たちの影響など、後天的なものも大きく作用すると言えます。
しかし、確かに私の周りのアメリカ人にはあまりネガティブな人はいませんでした。
どうやらこの「遺伝子説」は一理ありそうですね。
対処法
さて、すぐ「人生詰んだ」と言っちゃう私たち日本人ですが、どうやらすぐ「詰んだ」と思い込んでしまうこのネガティブ思考の影には、セロトニントランスポーターというたんぱく質の数が遺伝的にほかの民族や人種よりも群を抜いて少ないということが関係ありそうです。
では、このネガティブ思考から脱却して「人生詰まない」ようにするにはどうすればいいのでしょうか。
私たち日本人は、とても勤勉で、忍耐強く、まじめで、かしこく、謙虚な民族です。
相手のことを大切にし、敬い、自分よりも相手を優先する、そんな優しい人が多いというのが私たち日本人の特徴です。
ただ、私たち日本人は、自分よりも相手を優先するということが多いため、ついつい知らず知らずのうちに自分に対しては厳しくなりがちで、自分のこととなるとおざなりにしてしまうところがあります。
友人関係でも恋愛関係などの人間関係でもそうですし、仕事に対してもそう。
本当は体力的にも精神的にもギリギリで無理をしているはずなのに、周りにはそれを一切感じさせないようにして頑張りすぎてしまう。
そうすると、心はもう無理!と悲鳴をあげているのに、それを無視して体に鞭打ってしまうのです。
そんな自分に無理強いをするような状態が長く続けば、体も心もしんどくなってきます。
となると、次第にセロトニンの量だって減ってきます。
ネガティブ思考の渦に真っ逆さまです!
そうならないためにも、自分の体よりも心の声を大切にしてあげてください。
つまり、辛抱しすぎないで休息もしっかり取りましょう!ということ。
また、ネガティブ思考の渦に飲み込まれてしまいそうなときは、グジグジウジウジいつまでも同じことで悩むのはやめて、ささっと次に進んでしまいましょう。
私たちに残された時間は有限です。
決して無限ではありません。
私たちの貴重な短い人生の中で、どれぐらいの時間をその悩みに割けるのか。
1週間?1か月?1年ですか?
残された貴重な人生の限りある時間の中で、そんなにも多くの時間をその1つのことを悩むのに費やすことは、賢いことでしょうか?
もしかしたら明日その問題は解決するかもしれないし、来週もまだ悩んでいるかもしれません。
ただ、悩む時間がもったいない!
この先も長期にわたって悩んでいそうな、人生を左右するような問題であれば、それは時間をかけてしっかりと塾考する必要があるでしょう。
そうでない場合は、もういつまでも同じことで悩まない、考えないようにすることも大切。
結局悩んだって、物事はなるようにしかなりません。
あれやこれや、ああでもないこうでもないと悩んでネガティブ思考に偏りずや~んとするぐらいなら、もう考えるのをやめましょう。
なんとかなります。
失敗しても必ず次があります。
失敗することを恐れてはいけません。
自分には何でもできる!と自分に言い聞かせ、開き直ることです。
自分の趣味に没頭したり、運動して汗をかいたりして心も体もリフレッシュすると、そこで思考が切り替えられていいかもしれませんね。
とにかく、
- あまり物事を思いつめないこと
- 自分にはなんだってできるんだ!と開き直ること
- 今回失敗しても次に挽回すれば大丈夫と軽く考えること
などが、ネガティブ思考から脱却するコツです。
まとめ
もう後がないこと、もう打つ手がないこと、を将棋の用語を引用して「詰んだ」と表現する昨今。
でも、その瞬間には「うわ~やばい詰んだ!」「詰みそう」なんて危機感を感じても、案外時間が解決してくれたりとなるようになるものです。
知らず知らずのうちに私たちはネガティブに物事を考えがちですが、もし思考がポジティブ寄りになれば「詰んだ~!」なんて言わないですみますよね。
ネガティブ思考ばかりしてしまう人は、考えすぎ、心配しすぎです。
「どっちでもいいや」「どうとでもなれ」ぐらいのチャランポランなスタイルでいるぐらいが気楽に構えられていいかもしれません。
人生詰んだ!なんて口にする前に、まずはなんでも楽しく楽に考えるように心がけていきましょう。